宮島達男/現代アートは気持ちがいい
千葉市美術館拡張リニューアルオープン・開館25周年記念
宮島達男 クロニクル 1995−2020にいってきました。
青山蜂の25thアニバーサリーのアフターパーティーに、
日本橋のDDDホテルでのラウンジでDJの2連立てを終え、ホテル泊。
浅草橋より、小旅行気分で千葉市美術館へ一人旅。
元は銀行だったという建築のリノベーションした美術館とのことですが、
1Fにある無料のインスタレーションで、もうずっきゅん。
見ての通り、デジタルの数字がトレードマークの
日本を代表する現代作家さん
アートの良さは気持ちよさ、だと思っているのですが
宮島達男さんの作品は特に気持ちが良くて大好きです。
配線美
無駄のない美しさ
ミニマリズム
モダニズム
LEDカウンターがひたすら数字を刻み、
どの作品をみても数字
一貫したスタイルが、
追っかけているグラフティライターのタグを
見つけたかのごとく気持ちいい
そもそもデジタルは、必ず正確に動かなくてはいけないもの。
普段から仕事柄
「この座標に触れると音も映像も正確に変化する」
⇒つまり正確でないと気持ち良くない
⇒正確でなくてはなれない
というデジタルの良さを徹底的に守ることをしている。
でも仕事に限らず、iphoneも、ATMのタッチパネルも、時計も
デジタルは常に正確にであることが求められている。
とはいえ私が必死に正確さを守っているように、デジタルだってアナログの蓄積。
この正確さは、誰かの保守や誰かの努力の結晶。
宮島達男の作品も正確にLEDの数字たちが
きちんと同じことを繰り返しているが、
無数の数字はそれぞれ速度が異なり、とても自由に見えさえする。
そして彼らは途中で消える。
1から9まで正確にカウントされ、消える。
そう、ゼロが表示されないのだ。
カウントが止まる。一瞬の沈黙。
この瞬間にいつもハっとするのは私だけではないはずだ。
そしてまた繰り返される1,2,3,4,5・・・・
時に、LEDを追う鏡の自分がうつり、
カウントされる自分と向き合う。
無数のLEDの数字が広がる時の海には、
溺れそうな感覚になるし、
もはやこのまま「溺れたい~」とも思う。
「気持ちいい」だけでは終わらない、沈黙の繰り返し。
いつのまにか作品をみながら、無心になり、
自分の内面を見つめはじめている、そんな禅的な世界観だと思う。
毎日発表されるコロナウイルスの感染者の数字に踊らされ、
50%OFFの文字に踊らされ、
クレジットカードの請求額に落ち込み、
時計を見ては、スケジュールに終われ
常に意味のある正確な数字と向き合って生きているが、
宮島達男の無数の数字には意味がない(意味のある作品もあるんだけど)
この意味のない数字の繰り返しもまた、
気持ちよさのポイントの1つなんだと思う。
そんな中でも今回撮影OKの写真で「うお」となった作品が
DEATH CLOCKというインスタレーション作品。
手前のPCに自分が死にたいと思う生年月日を入れると、
自分の顔写真と共に、目の前のスクリーンで、
自分の死にたいと考えた日からのカウントダウンがはじまるというもの
ちなみに私は真剣に考えた結果2080年11月14日とタイプしました。
自分が死にたいと思う日から今がカウントダウンされることで、
生きる時間は有限ではないと考えさせられる作品。
とたんに意味のあるものいなるんだから、数字ってすごい。
撮影不可の作品から、撮影OKな作品まで
本当に素敵な構成でミュージアムショップではすっかり散財。
幸せな美術館遠征でした。
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